【福井県】2019年夏休み廃線ツアー② 敦賀港線・敦賀新港線・敦賀セメント敦賀工場専用線


実家に2泊したのち北陸へ向けて出発。2019年夏休み廃線ツアー、名鉄清洲線に続く第2弾は福井県・敦賀です。


赤=敦賀港線、緑=敦賀新港線、青=敦賀セメント敦賀工場専用線
※明治15年の開業当時、敦賀駅は現在の気比神宮大鳥居前の周辺にあり、金ケ崎駅(のちの敦賀港駅)までの路線は上図とは少し異なります。

敦賀駅と敦賀港を繋いでいた敦賀港線(つるがみなとせん)は、北陸本線が滋賀県の長浜から敦賀までつながった1882(明治15)年の開業。戦前はウラジオストクへの国際航路への接続線として栄華を誇り、終着駅の敦賀港駅では東京からの直行列車・国際欧亜連絡列車が発着していました。・・・といっても、当時東京駅は未開業。正確には新橋駅からの直行列車です。

廃線跡探索のスタートは敦賀駅。写真は北口のロータリーです。

敦賀駅から北陸本線に沿って北上すると、大きな高架橋桁が・・・。

画面右の敦賀駅から分岐し手前に伸びてくる敦賀港線の廃線跡。やはり高架橋の工事中。なんだろこれ?恥ずかしいことに警備員さんに質問してしまいました。「何の工事ですか?」そうです。北陸新幹線の延伸工事です。

踏切の先は再び藪の中へ・・・。

国道476号線をくぐり廃線跡は右にカーブし曙踏切へ。
(画面向こう側が敦賀、手前が曙踏切、敦賀港)


曙踏切はカーブの途中なのでなかなかの段差。

民家の脇を縫うように線路は続き・・・

国道8号線をくぐると・・・

敦賀港駅(旧金ケ崎駅)の構内に到着です。レールは残っていませんが、ここからさらに左へ分岐し右の建物の前を通り敦賀新港へ向かう線路もありました。

この写真の画面中央辺りがその分岐点でしょうか。

オフレールステーションとして生まれ変わった駅には今も多くのコンテナが置かれ、貨物列車の代わりにトラックが活躍しています。

駅前には当時の「ランプ小屋」が保存されています。

小屋の中にはいろいろ参考になる資料があります。

「明治15年時点では機関車に明るい照明がついていないので・・・」なるほど。

当時とは違う場所ですが、当時の駅舎が再建され、博物館として利用されています。

中の資料もそうですが、外に掲示されている写真からも当時をしのぶことができます。

港には横浜のような赤レンガ倉庫もあって、ちょっとした観光スポットになっています。敦賀新港駅に向かう線路は、ちょうどこの赤レンガ倉庫の角をかすめるようにカーブを切っていました。

夫の鉄幹を追いかけてパリに向かった与謝野晶子、国際連盟脱退で有名なのちの満鉄総裁/外務大臣・松岡洋右、ストックオリンピックで金メダルを目指した「いだてん」金栗四三・・・新橋(東京)からやってきた直通列車を敦賀港駅で降りた乗客は、ここから船でウラジオストクにわたり、シベリア鉄道を経由して欧州へ向かいました。
そんな栄華を極めた敦賀港線も2009年には列車運行を終了。そして2019年4月、正式に廃止となってしまいました・・・。

【敦賀港線 年表】

1882(明治15)年3月10日
金ヶ崎駅(のちの敦賀港駅)開業

1897(明治30)年9月20日
旅客営業廃止、金ヶ崎駅を金ヶ崎貨物取扱所に降格

1908(明治41)年3月25日
金ヶ崎貨物取扱所から金ヶ崎駅に昇格

1912(明治45)年6月15日
ウラジオストク航路発着日に限り旅客輸送を再開

1919(大正8)年1月11日
金ヶ崎駅を敦賀港駅に改称

1932(昭和7)年9月20日
敦賀新港駅までの貨物支線開業

1940(昭和15)年頃
第二次世界大戦勃発等により旅客列車廃止

1943(昭和18)年4月1日
敦賀新港駅を敦賀港駅に統合(支線は構内側線扱いで存続)

1987(昭和62)年3月31日
旅客営業を正式に廃止

1987(昭和62)年4月1日
国鉄分割民営化によりJR貨物が継承

1999(平成11)年~2006(平成18)年
観光イベント、灯篭流し、大花火大会開催時に旅客列車を運行

1999(平成11)年夏
旧敦賀港駅舎を再建、敦賀鉄道記念館として一般公開

2009(平成21)年3月31日
貨物列車の運行を終了

2009(平成21)年4月1日
敦賀港駅を敦賀港オフフレールステーションに改変、トラック便運航開始

2019(平成31)年4月1日
敦賀港線を正式に廃止

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