2015/02/01

【東京都】都電青山車庫と教習コース

青山学院大学のお向かい、国連大学本部のある一帯は、その昔、都電の青山車庫があったところです。正確には、東側の青山オーバルビルと西側の旧こどもの城、そして北側にある住宅展示場までがその敷地に含まれます。

おもしろいのは、ここには車庫だけでなく運転教習所とその教習コースが併設されていたということ。

【推定配線図】

赤は車庫線、緑・黄緑は教習コースの推定配線図になります。教習コースは現在住宅展示場のあるあたりですが、Androidアプリ「東京時層地図」で見られる明治末から大正にかけての地図と、「航空住宅地図 渋谷版」に掲載の1967年(昭和42年)の地図では少しコースが異なるようなので、それぞれ黄緑と緑で示してみました。

ここは江戸時代、山城淀藩・稲葉家の下屋敷だったところで、その庭園にあった「琵琶池」が現在も残っています。青山車庫は都電の前身・東京市電のさらに前身である東鉄時代、1907(明治40年)4月の開業。琵琶池のほとりにはのちの東京都交通局病院も建てられ、教習コースはこの琵琶池の周囲を巡っていました。1968年、青山線の廃線とともに車庫と教習所も廃止され、交通局病院は東京都職員共済組合青山病院として引き継がれました。

鉄道や都電に関する多数の著書で有名なジャーナリストの林順信さんが「雪廼舎閑人(ゆきのやかんじん)」名義で著した「都電百景百話」(1982/大正出版社)には、東京市電気局に勤務していて教習所で運転を習ったことのある父親が、市電のストライキなんかがあると運転士として駆り出されたというエピソードが書かれています。また、「玉電が走った街 今昔」(1999/JTB)で林さんと対談した、紀行作家で廃線跡ブームの立役者でもある宮脇俊三さんは、子供の頃この青山車庫の裏手に住んでいて、琵琶池が遊び場だったと述べています。

こどもの城(国立総合児童センター)は、まだこどもたちが小さかった2015年2月1日、閉館の日に遊びに行きました。


たのしいアトラクションがいろいろあって楽しいところだったのに・・・残念です。閉館後も都が買い取る買い取らないなどと話題になりましたが、その後結局どうなったんだっけ?

 

屋上で職員のお姉さんに遊んでもらっていた時に撮ったこの写真には、裏の住宅展示場が写っていました。教習コースは奥に見えるモデルハウスの裏を走っていたことになりますね。

参考資料等
・赤岩州五著「新宿・渋谷・原宿 盛り場の歴史散歩地図」(2018/草思社)
 P102-103 日本住宅地図出版(株)「航空住宅地図 渋谷版(1967年)」
・雪廼舎閑人著「都電百景百話」(1982/大正出版社)
・林順信著「都電が走った街 今昔II」(1998/JTB)
・林順信著「玉電が走った街 今昔」(1999/JTB)
・pleiadesさん撮影「消防資材器具配置略図」(1966)
・Androidアプリ「東京時層地図」
・iPhoneアプリ「古地図散歩」

0 件のコメント:

コメントを投稿