2019/02/24

【静岡県】富士軌道

富士軌道は、1909(明治42)年に大宮駅(今の富士宮駅)から北部の上井出駅まで、さらに1912(大正元)年には貨物限定ながらその先の人穴駅までを結んでいた馬車鉄道です。1939(昭和14)年、すべての路線が廃止となりました。

この路線については、とにかく現地に足を運んで住民の方々へのインタビューを重ねるNさん、現地調査をしつつ図書館や役所でさまざまな資料を集めるAさんと一緒に、今も調査を続けています。私は古地図や航空写真など主にネットから情報を探しているだけなので、お二人のバイタリティにはホントに頭が下がります。

2月24日、ようやく時間を見つけて初の現地入り。大宮駅のあった、富士宮駅北側からスタート。

昔は駅前に大きな鳥居がありました。「世界ジャンボリー」は1971年に富士山の裾野の朝霧高原で開催されたボーイスカウトの世界大会のこと。今も現地には野外活動センターがあり、私の所属する団でも利用したことがあります。

現在、鳥居は撤去され、真新しい歩道橋に姿を変えています。この鳥居の幅が現代のクルマ社会には狭すぎたか・・・。

北上した路線は中央町の交差点で一旦右折し神田通に入ります。

そしてすぐに左折し、街を北西へ斜めに縦断していきます。

大阪屋さんの南で再び元の駅前通りと交差。これでも関西人の端くれ、粉もんの誘惑はつらいところですが(笑)、なんとか耐えて先に進みます。




再び北に向きを変えたところで少し道路は細くなり、やがて行き止まりとなりますが、廃線跡はこの先に進んでいきます。

北上する途中で左から来る道路とX字型に交差。

そこには「曲り松」と呼ばれた大きな松の木がありました。

その風景は絵はがきにも描かれています。富士山に向けてまっすぐ伸びる道は、当時の「表口登山道」。

場所を勘違いして撮りそびれたので、ここはGoogle先生からちょっと拝借。この表口登山道、今の県道180号線をずっとたどっていくと、途中から富士山スカイラインとなり、確かに現在の富士山4大登山ルートのひとつ、富士宮ルートにつながっています。

同じ場所に今も「曲り松」がありますが、さすがに当時のものではなさそうですね。

曲り松で旧登山道と別れた廃線跡は、富士宮北高校の東側を走り抜け・・・

謎のW字カーブを通過し・・・

やがて左折して国道139号線に入ります。

いや、正確には廃線跡に国道139号線ができた、と言うべきか?(笑)

そして、現在はファミリーマートのあるところで右に折れ、ファッションセンターしまむら富士宮店を突っ切っていく訳ですが・・・

ここでNさんと待ち合わせして合流。しまむらを通り抜けてカインズ富士宮店の裏を進む廃線跡を案内していただきました。

しまむらとカインズの間、大富士交流センターの駐車場の西に、敷地が三角形の不思議なお宅が・・・。

そのすぐ南の道路にはなぜか斜めに横切る溝も。

この溝から三角形の敷地につながる斜めの線が廃線跡になるとのこと。Nさんが得意とする聞き込み捜査のたまものです。

そこから交流センターの駐車場を見上げると、美しい富士山。

駐車場の上から撮影。廃線跡は写真の左下から中央の鉄塔の左脇に向けてまっすぐ進みます。

鉄塔の南にある道路でも、溝は廃線跡に沿って斜めに走っていました。

鉄塔の西側から撮影。トラックの駐車場も廃線跡によりハスに切られています。

鉄塔の北側より撮影。空き地の黒ずんでいるあたりが廃線跡のようです。

その先も廃線跡は続きますが・・・というか、ここからが面白くなってくるところなのですが・・・

残念ながらここで時間切れ。楽しみは次回に取っておくことにします。

【番外編】
Nさんとお別れした後、新東名には戻らずそのまま東走、先ほどの表口登山道、すなわち県道180号で左折、富士山スカイライン経由で帰路につきました。
途中、西臼塚駐車場でお湯を沸かしてカップ麺で腹ごしらえ。

ここもカブスカウトの活動で利用したことのある懐かしい場所。ほかにクルマもおらず、富士山もきれいに見えたので、お湯が沸く間にプチ撮影会。自己満足な写真が撮れました(^^)v。


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