5/27(月)、春休み旅04日目
岡山のディープな旅は続きます。
・・・って、村上さん?
何やってるんですか、村上さん??
続いてこちらは1907 Ⅶとあるので1907年7月製。一番下のマークは・・・おっ、八幡製鉄所だ!お茶の水橋で出土した都電(東京市電)レールにも同じマークがありました(お茶の水橋都電レール保存会のレポートはこちら)。
ウニオン(union)はドイツの会社です。製造年は・・・もう分かりますよね。
という訳で、今日の主役は井笠鉄道。東の駿遠線と並び称される、軽便界の横綱です。
懐かしい感じ。
境界杭がありました。
廃線跡とは関係ありませんが、京都ではよく見かける「いけず石」。本来は壁に自動車が接触しないよう邪魔(いけず)をするために置く石なのですが・・・そのいけず石が自ら壁を破壊しちゃってました(笑)
ここでちょっとワープ。新山駅跡にやってきました。
ここに来た目的は、併設の井笠鉄道記念館でしか買えない、レールの切れ端を使ったおみやげ・・・と思ったら、まさかの休館日orz
でも、館外の展示はバッチリ楽しめました。
川を渡ってからは、現在の井原鉄道と交錯するところがいくつか見られます。ぐぐーっとカーブして・・・
こちらは、ゲレンデを挟んで左が現役の井原鉄道の高架、右が旧井笠鉄道の廃線跡の路盤。
盗撮されてました(笑)
これもレールかな?ドイツのブルバッハ社製。
給水塔も。なんだか絵になるなぁ。
朝起きて窓の外を見ると、警察車両にたくさんの人が次々と乗り込んでいく・・・?
なんと同じ宿にこんなにたくさんの受刑者たちが泊まっていたのか!?
いや、天皇陛下の訪問で全国から集まっていた警察の方々ですね。失礼しました(笑)
さて、この日は朝9時に村上さんを迎えに行き、岡山から再び西走。やってきたのはこちら。
笠岡駅です。
そう・・・我々のお目当てはこの屋根を支える柱です。
「双頭レール」と呼ばれる、明治の鉄道初期に使われた貴重なレールなんです。
ここでは他にもさまざまなレールが使われているのですが、村上さんが調べていたのはその刻印。その記載からメーカーや製造年などが分かります。
BV&Coはボルコウ・ボーン(Bolckow Vaughan)社製の証。
駅の外の柵にもさりげなく古レールが使われていました。
・・・でもちょっと細い。軽便サイズだ。
という訳で、今日の主役は井笠鉄道。東の駿遠線と並び称される、軽便界の横綱です。
井笠鉄道の歴史です。井笠鉄道跡を利用して開業した井原鉄道も入れてみました。
駅前のお店で腹ごしらえ。美味しかった!
近くの跨線橋から駅方面。左の駐車場が井笠鉄道の廃線跡です。
ここでちょっとワープ。新山駅跡にやってきました。
ここは本線と矢掛線の分岐点となるターミナル。
ここだけ車幅の何倍もある広い歩道の形が当時の地形を彷彿とさせます。
北川駅から矢掛線へ。昔と今の地図を比べます。地図上の赤いポインターの南側にご注目。
なんと、畑のど真ん中にこんもりと築堤が残されています!
そしてその先はカーブしながら高度を上げ・・・
川を渡ります。橋台部分が河岸から飛び出しているのがよく分かりますね。
井原鉄道の築堤にズボッ!
そして終点・矢掛駅に到着。現在の井原鉄道の矢掛駅とは少し離れています。
帰りは倉敷に寄り道。おしゃれなカフェではありません。整骨院です。
やっと河本先生にお会いすることができました。お仕事中ありがとうございました!
岡山市内へ戻り、村上さんともここでお別れ。2日間に渡り、ディープなディープな探索ツアー、本当にありがとうございました!
この日は宝塚の実家へ。まだまだ旅は続きます。
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメントにはお名前かハンドルネームを付記していただけますと幸いです。