2026/09/30

【兵庫県】鍛冶屋線

2017年11月25日に往訪した鍛冶屋線。

お茶の水橋都電レール保存会の盟友・山内さんが訪れたと聞き、シルバーウィークの帰省を機に2026年9月22日に再訪しました。

午前中に伺うとお伝えしていたところが、宝塚の渋滞にハマってしまい、大迷惑をおかけすることに・・・。それでも待っていてくださったのが、廃線跡ツアーの観光ガイドを務める小嶋さんと真鍋さん。

なんと、ちょうどこの日の読売新聞オンラインで、おふたりのご活躍が紹介されていました。

真鍋さんは元鍛冶屋線の運転士。当時の思い出を交えた説明はとても軽快で、今回同行した母、妻、そして現在は北海道民である鉄分高めな長男も、たいへん楽しませていただきました。

今でも発車ベルが鳴りそうな駅と車両。

駅弁でも買って、さぁ乗り込みましょう!

そう、現在は車内に入ることもできます。

もちろん運転席も。マスコンは既に撤去されていますが・・・

真鍋さんのブレーキレバーを装着してもらい・・・

先月に山内さんが訪れた時にはまだ動かせなかったというブレーキ操作を堪能。

もちろん長男も。


そして母までも・・・って、ちょっと握り方が違うような(笑)

真鍋さんに誘われ、一行は床下機器へ。

コンプレッサーとエアータンク。ブレーキやドアはこのエアーで動作します。


巨大なブレーキシュー。

TC-2A型変速機は、向かって左にあるDMH17H型・16,980cc直列8気筒ディーゼルエンジンがわずか1,500rpmで吐き出す定格出力180psのパワーを受け止め、右のユニバーサルジョイントとプロペラシャフトを介して動輪に伝えます。真鍋さんによれば、低速域のトルコンから直結への切り替えは手動で、当時およそ40km/hで行っていたそうです。

連結器の横に見える2本のホースは、先ほどのエアーを連結車両に送るためのもの。ブレーキとそれ以外で2系統になっています。

鍛冶屋線は1913(大正2)年開業、1990(平成2)年廃止。年表にまとめるとこんな感じです。
年月日内  容
1913(大正02)年
810播州鉄道が国包(現・厄神)・西脇間開業
1011野村開業
1921(大正10)年59市原まで延伸
1923(大正12)年
56鍛冶屋まで延伸、羽安(停)・播鉄中村・鍛冶屋開業
1221播但鉄道に譲渡
1924(大正13)年1227加古川線の野村・谷川間開業に伴い、鍛冶屋線は支線に
1943(昭和18)年61国有化され鍛冶屋線に。播鉄中村を中村町へ改称。羽安は駅に
1961(昭和36)年
101曽我井(仮)開業
1220曽我井は駅に
1987(昭和62)年41西日本旅客鉄道に承継
1990(平成02)年41廃止。野村を西脇市に改正

当時の予想配線図。
 

作成にあたっては、以下の動画やサイトを参考にさせていただきました。

⭐︎Rail工房天都583⭐︎さん「鍛冶屋線(2) 西脇ー鍛冶屋 西脇駅・鍛冶屋駅風景」
https://youtu.be/QVxutOeziSs?si=XxY8HeXl65g2jH7Q

f54560zgさん「三木線・北条線・鍛冶屋線配線図」
http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-b739.html

さて、今回はくしくも前回とほぼ同じ場所にクルマを停めたのですが・・・なんか違う?
【前回】2017年

【今回】2026年

そうか!なんか雰囲気が違うと思ったら・・・並木がなくなったんですね。

2017年の訪問時には、市原駅にもお邪魔していました。


この建物自体は1993(平成5)年に開業当時の姿を模して復元されたものですが、ムムッ、キップ売り場だけは当時のまま!?

これかな?

資料館の中に展示されていた当時の新聞記事でも小嶋さんが紹介されています。

野村方面から来た最終列車、3両連結のキハは、ここ市原駅でこの2両が切り離されそのままこの場所にとどまり、そして残る1両が終点・鍛冶屋駅まで走って、やはりそのままあの場所にとどまり・・・以降、今日に至るまで静態保存されているんだそうです。

このかわいいイラストは、鉄道ファンの間では賛否両論あるようですが・・・この街に合っていて素敵だと思います。

このクルマとの付き合いも長くなりました。当時はまだルーフラックも付けてなかったか(笑)

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントにはお名前かハンドルネームを付記していただけますと幸いです。