2019/05/02

【島根県】JR大社線



ゴールデンウィークの中国地方旅行。5/2、別行動していた長男たちが出雲大社に向かうと聞き、そこで合流しようと旧JR大社駅に向かいました。

JR大社線は、出雲市駅から大社駅までを結ぶ路線で、大正元(1912)年に開業。余部鉄橋が完成し、京都から出雲市までが全通したのと同じ年です。



昭和55(1980)年の時刻表から。大社線が左上に見えています。

当時は大阪などから直通運転の列車もありました。福知山線のページを見ると、大阪発の急行だいせん1号が一部大社行きになっています。
少し大社線からそれますが、宝塚までの電化は1981年なので、列車番号にMのつくものはまだありませんね。食堂車のついた特急「まつかぜ」も懐かしい!まだ小学生でしたが、わが家が宝塚(最寄り駅は中山寺)に引っ越したのはこの電化直後。当時は阪急よりも料金は高いし本数は少ないし車両は古いしで国鉄にはほとんど乗りませんでした。長大な大阪駅のホームにディーゼルカー1台で発車待ち。そんな福知山線(宝塚線)が最新車両の走る立派な主要路線になるとは・・・。

大社線の時刻表も掲載しておきます。名古屋からも直通列車が来ていました。

また、急行「だいせん」には寝台夜行列車もありました。夜の9時半に大阪を出て、翌朝の7時18分に大社に到着かぁ・・・今も走っていたらぜひ乗ってみたい列車です。

有名な大社駅の2代目駅舎。大正12年完成の歴史建築です。

出雲高松駅周辺の方が撮影したという当時の写真が特別展示されていましたので、ちょっと拝借させていただきます。出雲大社までは歩くにはちょっと遠いので、当時はこんなにバスが出ていたんですね。

鬼瓦にはSLの動輪がデザインされていました。

そして亀。あちこち洒落たデザインが見られる駅舎です。

改札口には昭和の香り。

線路側に回ってみました。

線路敷設前の写真も展示されていました。

現在のホームの跡。

この赤茶けたレールの上に大阪や名古屋からの長距離列車が来ていたんですね・・・。

出雲大社まで1.6キロ・・・歩けないこともないけどちょっと遠い。昭和5(1930)年には一畑電鉄がもっと近いところに駅を設けてしまいました。

ホーム跡からは出雲大社の鳥居も見えましたが・・・確かに遠い(笑)。

愛車ゲレンデのホイールは自己満足(笑)の大口径・22インチ、約56cmですが・・・

D51の動輪は140cm!

間近で見るとすごい迫力です。かっこいい!


「ご乗車の方はお急ぎくださーい!」

デゴイチはどこから撮っても絵になりますね。


駅の常設パネルに展示されている、全盛期の出発シーン。

右のホーム上から同じ方向を撮影してみました。奥に道路の信号が見えますが・・・

線路跡は現在まっすぐな道路に変わっています。


その先で自転車道に変わります。

隣の荒茅駅は昭和33(1957)年の開業。大社線では一番新しい駅でした。

線路はありませんが、ホームとスロープが残されています。


さらに進むと出雲高松駅(旧朝山駅)跡に到着です。河川敷でちょっと広さもあります。

荒茅駅同様、ホームが残っています。右上が出雲市駅方面、左下が大社駅方面です。

さきほどの特別展示の写真から。

当時の駅舎の貴重な写真。

ホーム上には白線の跡も。

大社駅方面を向いたところ。素敵なクルマが停まっています(笑)。

近いアングルで撮影された平成2(1990)年のさよなら列車。寂しいですがとてもすてきな写真です。

そして終点の出雲市駅(旧出雲今市駅)に到着。

【JR大社線年表】
明治45(1912)年6月1日
大社線開業。駅は出雲今市駅(のちの出雲市駅)・大社駅のみ。
大正元(1912)年11月15日
朝山駅(のちの出雲高松駅)開業。
大正12(1924)年
2代目大社駅舎(現在の駅舎)が完成。
昭和7(1932)年5月10日
朝山駅を出雲高松駅に改称。
昭和32(1957)年4月1日
出雲今市駅を出雲市駅に改称。
昭和33(1958)年4月1日
荒茅駅が開業。
昭和49(1974)年10月1日
貨物営業廃止。同年、蒸気機関車の運行も廃止。
昭和62(1987)年4月1日
JR西日本が継承。
平成2(1990)年4月1日
廃止。

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