2019/05/05

【東京都】都電錦町線


都電錦町線は、都電の前身の東京市電の、そのまた前身の東京電気鉄道(株)が1904(明治37)年に開業した通称・外濠線の一部です。

上の路線図は、開業当時の外濠線を示したもので、電停は、北から「御茶ノ水」「甲賀町」「小川町」「錦町三丁目」「錦町河岸」「神田橋」「鎌倉河岸」「龍閑橋」「常盤橋」。

翌1905(明治38)年4月5日、御茶ノ水橋を越え外濠線が延長された際に、橋の北詰に「師範学校前」、また1914(大正3)年4月6日には、地図右下の赤線と緑線のつながるあたりに新たに「常盤橋」が設置され(のち「新常盤橋」に改称)、従来の「常盤橋」は「日本銀行前」に改称されます。いつしかこの赤線部分が「錦町線」と呼称されるようになりました。

江戸城の外濠を囲うように敷設された外濠線ですが、御茶ノ水から錦町河岸までの区間は、第二次世界大戦中の1944(昭和19)年、不要不急の路線として休止(戦後の1949(昭和24)年に正式廃止)となりました。

この錦町線の最大にして唯一の遺構が、地図の一番上、現在は2代目となったお茶の水橋の上に残るレールです。

下の写真は2019年5月5日にお茶の水橋北詰の横断歩道を東側から撮影したもので、正面が市ヶ谷方面、後ろは秋葉原、左がお茶の水橋を越えて駿河台下につながるT字路です。よく見ると、橋の継ぎ目の左(南側)にあるアスファルトがデコボコ・・・。

近寄ってみると・・・斜めに横切る2本のレールが!

手前側のレールのアップ。2019年時点で最低でも75年は経過しているレールな訳で、以前ご紹介した船路橋レール跡よりも更に枯れた雰囲気があります。

向こう側のレールも細くですが露呈しています。

都会のど真ん中の廃線跡。いつ撤去されてしまうか分かりませんが、ぜひとも残してほしい遺構です。交差点のど真ん中ですので、見学の際はくれぐれもクルマや歩行者(の冷たい視線(笑))にはご注意ください。

2019年7月8日追記
ショッキングな工事の告知が掲示されていることに気付きました・・・。

2019年11月1日追記
とうとう工事が始まり、現場は掘り起こされてしまいました。

掘り起こされたレールも路上に置かれていました(現在は撤去されています)。

都電のレールは通常のエの字ではなく、エの字の上部に溝が彫られているのが特徴です。車輪のフランジ(内側の出っ張り)を逃がす部分です。旧四谷見附橋が移築された、多摩の長池公園には、当時の都電レールの実物が保存・展示されており参考になります(四谷見附橋上に敷設されていたものではないようです)。切断面は下半分が樹脂で固められており見えませんが、溝の様子が確認できます。
【長池公園に保存・展示されている都電レール】

都電も戦後の状況については詳しく記憶されている方々もおられるでしょうし、関連書籍や写真集、インターネットなどで様々な情報が入手できますが、戦前となるとグッと少なくなります。このお茶の水橋上の遺構は、前述の通り1905(明治38)年に敷設され1944(昭和19)年に休止となった区域の大変貴重なもので、おそらく他に例がありません。千代田区によれば、まだお茶の水橋の上には80m程度、複線の線路が残っているとのことで、先日、有志による「お茶の水橋都電レール保存会」が発足しました。奇跡的に残されていた東京市電・都電時代のレールや枕木など、大変貴重な戦前遺構の保存について協議を始めています。その進捗は随時このサイトで報告していく予定です。→詳細・最新情報はこちら